君来るといふに夙く起き
- 2012.05.22 Tue
君来るといふに夙く起き
白シャツの
袖のよごれを気にする日かな
おちつかぬ我が弟の
このごろの
眼のうるみなどかなしかりけり
どこやらに杭打つ音し
大桶をころがす音し
雪ふりいでぬ
人気なき夜の事務室に
けたたましく
電話の鈴の鳴りて止みたり
目さまして
ややありて耳に入り来る
真夜中すぎの話声かな
見てをれば時計とまれり
吸はるるごと
心はまたもさびしさに行く
朝朝の
うがひの料の水薬の
罎がつめたき秋となりにけり
夷かに麦の青める
丘の根の
小径に赤き小櫛ひろへり
裏山の杉生のなかに
斑なる日影這ひ入る
秋のひるすぎ
港町
とろろと鳴きて輪を描く鳶を圧せる
潮ぐもりかな
小春日の曇硝子にうつりたる
鳥影を見て
すずろに思ふ
空色の罎より 山羊の乳をつぐ
- 2012.05.22 Tue
空色の罎より
山羊の乳をつぐ
手のふるひなどいとしかりけり
すがた見の
息のくもりに消されたる
酔ひうるみの眸のかなしさ
ひとしきり静かになれる
ゆふぐれの
厨にのこるハムのにほひかな
ひややかに罎のならべる棚の前
歯せせる女を
かなしとも見き
やや長きキスを交して別れ来し
深夜の街の
遠き火事かな
病院の窓のゆふべの
ほの白き顔にありたる
淡き見覚え
何時なりしか
かの大川の遊船に
舞ひし女をおもひ出にけり
用もなき文など長く書きさして
ふと人こひし
街に出てゆく
しめらへる煙草を吸へば
おほよその
わが思ふことも軽くしめれり
するどくも
夏の来るを感じつつ
雨後の小庭の土の香を嗅ぐ
すずしげに飾り立てたる
硝子屋の前にながめし
夏の夜の月
目を病める 若き女の倚りかかる
- 2012.05.22 Tue
目を病める
若き女の倚りかかる
窓にしめやかに春の雨降る
あたらしき木のかをりなど
ただよへる
新開町の春の静けさ
春の街
見よげに書ける女名の
門札などを読みありくかな
そことなく
蜜柑の皮の焼くるごときにほひ残りて
夕となりぬ
にぎはしき若き女の集会の
こゑ聴き倦みて
さびしくなりたり
何処やらに
若き女の死ぬごとき悩ましさあり
春の霙降る
コニャックの酔ひのあとなる
やはらかき
このかなしみのすずろなるかな
白き皿
拭きては棚に重ねゐる
酒場の隅のかなしき女
乾きたる冬の大路の
何処やらむ
石炭酸のにほひひそめり
赤赤と入日うつれる
河ばたの酒場の窓の
白き顔かな
新しきサラドの皿の
酢のかをり
こころに沁みてかなしき夕
旅七日 かへり来ぬれば
- 2012.05.22 Tue
旅七日
かへり来ぬれば
わが窓の赤きインクの染みもなつかし
古文書のなかに見いでし
よごれたる
吸取紙をなつかしむかな
手にためし雪の融くるが
ここちよく
わが寐飽きたる心には沁む
薄れゆく障子の日影
そを見つつ
こころいつしか暗くなりゆく
ひやひやと
夜は薬の香のにほふ
医者が住みたるあとの家かな
窓硝子
塵と雨とに曇りたる窓硝子にも
かなしみはあり
六年ほど日毎日毎にかぶりたる
古き帽子も
棄てられぬかな
こころよく
春のねむりをむさぼれる
目にやはらかき庭の草かな
赤煉瓦遠くつづける高塀の
むらさきに見えて
春の日ながし
春の雪
銀座の裏の三階の煉瓦造に
やはらかに降る
よごれたる煉瓦の壁に
降りて融け降りては融くる
春の雪かな
わかれ来て年を重ねて
- 2012.05.22 Tue
わかれ来て年を重ねて
年ごとに恋しくなれる
君にしあるかな
石狩の都の外の
君が家
林檎の花の散りてやあらむ
長き文
三年のうちに三度来ぬ
我の書きしは四度にかあらむ
手套を脱ぐ時
手套を脱ぐ手ふと休む
何やらむ
こころかすめし思ひ出のあり
いつしかに
情をいつはること知りぬ
髭を立てしもその頃なりけむ
朝の湯の
湯槽のふちにうなじ載せ
ゆるく息する物思ひかな
夏来れば
うがひ薬の
病ある歯に沁む朝のうれしかりけり
つくづくと手をながめつつ
おもひ出でぬ
キスが上手の女なりしが
さびしきは
色にしたしまぬ目のゆゑと
赤き花など買はせけるかな
新しき本を買ひ来て読む夜半の
そのたのしさも
長くわすれぬ
